瞑想は、本来一人の個体としておこなうものです。
期限は古く、5千年前のインドのモヘンジョダロの遺跡に瞑想姿勢で座る姿が刻まれた印章が残っているようです。
昔から、仏陀やキリストのような宗教家はもちろんのこと、ジョブス氏や松下幸之助氏のような創業者、ビートルズなどのようなアーティスト、偉人と呼ばれる人たちはみな、瞑想の習慣を持っていたといわれています。
最近では、グーグルなどの大企業でも瞑想が研修プログラムとして取り上げられていることも知られてきました。
ヨガでは、瞑想の仕組みについて以下のように説明しています。
大まかに言うと、尾てい骨のあたりにあるクンダリーニと呼ばれる発電酵素のようなものが髄液の上昇とともに脳内に入り、眉間の奥にあるバイブレーションと呼ばれる磁気振動と合体して生体プラズマというエネルギーが作られます。
この生体プラズマが脳内に投棄されているリポフスチンなどの老化物質を溶解させて、皮膚と手足の末端から発散されて行く。
これが瞑想のメカニズムです。
瞑想をすると身体がスッキリするのも、この老化物質の処理が行われるからでしょう。
しかし、最近では瞑想が個人的な範疇を超えてきたのではないかと思います。
心のデトックスのブログの第一回で書いたように、梵(ブラフマン)が自分を思い出す時代に入ると、つまり宇宙的な目覚め(アウェアネス)の状況は地球にも波及します。
山手國弘氏(*注)によれば、現代は地球アウェアネスの時代であると見ることができます。
地球は人類による環境破壊のリアクションとして大規模のバランス回復をしているのであろうと。
そのバランス回復作用は、個体的な瞑想を地球レベルに拡大したものかもしれません。
地球規模のクンダリーニは、ますます活発になっているマグマの活動と見ることができます。このマグマが個人の肉体と共鳴すると本人の想定範囲を超えたクンダリーニが上昇するようになります。
そして、地球規模のバイブレーションは、携帯電話に代表される強力な電磁波といえるでしょう。この電磁波が個人の肉体と共鳴すると本人の想定範囲を超えたバイブレーションが発生します。
これらの地球規模の瞑想反応が個体に共鳴すると、人間は半強制的な瞑想状態になります。
無自覚であっても、人はその影響力を受けることになります。
その影響の一つが、その人の身体が処理できる以上の脳内代謝毒が溶けることつまり、病気のリスクが高くなったり、いわゆる慢性疲労症候群というような症状が起きたりすることだと思います。
慢性疲労症候群は、不登校や不出社の原因の一つとも言われていますし、はっきりとした病名がつかなくてもそのような症状を持つ方は相当数いるようです。
また、先進国ではガンが減少する傾向にある中、1995年以降に日本だけが増えている事実があります。
高齢化のせいと見ることもできますが、日本が特に進んでいるとはいえ、先進国での高齢化はどこも同じように進行しています。
これは、もしかしたら日本が世界の活火山の7%を占める有数の火山国だからかもしれません。
地球のクンダリーニの影響つまりマグマの活動が一番大きいのが日本なのでしょうね。
もちろん、これらは全て仮説です。マグマとガンの因果関係が証明されているわけではありません。
ただ、瞑想の考え方と40年間の瞑想の体験から、発散瞑想をすると体調をその年齢に応じたベストコンディションに保つことができると考えています。
瞑想のやり方については、このBMワークのコーナーで改めてまとめたいと思います。
心のデトックスの観点からみた瞑想のもう一つの効果は、梵(ブラフマン)を直接体験できることだと思います。
これからは、梵が自分を思い出す流れに入ったといっても、梵というものの体験がないと、実感が湧かないのも事実です。
梵は現象を超えた存在です。
梵は、太極、空、無、絶対、真空場、ハイアーセルフ、サムシンググレート、スーパーマインド、大日如来、タオ、実相、混沌などと呼ばれる時間と空間が未分化な存在です。
言葉が沢山あるということは、文字では説明できない存在であることを示しています。
したがって、体験によって実感するしかないことです。その実体験が瞑想であるといえます。
梵の性質は「サット、チット、アーナンダ」の3つであると言われています。
サット(完全存在感)は、梵のベースとなる「ただ在る」という感じです。
私たちは、お金があるから安心だとか、家族がいるから安心だとか、何かの条件によって安心・安全を感じます。
しかし、サットは無条件の安心感があります。瞑想すると自分の個体的な境目が分からなくなります。
逆に自分が宇宙全体だという実感が訪れます。この時の空間の感覚は不思議で、無限に硬い感じ(バジェラという)と無限に柔らかい感じが同時に存在します。
何もない感じと同時に、なんでもあるという感じもあります。(仏教では無尽蔵という)
過去・現在・未来も同時に存在して時間の感覚がないという感じです。瞑想中は時間の経過がなくなります。
自分のアイデンティティがこの梵だと分かると、普段の生活がとても安定してきます。
チット(完全能力感)は、神様が持つようないわゆる全知全能といわれるものです。
第一幕は梵を忘れる体験をするのですが、それによるチット不足が生じると、自分には能力がないと思うようになります。
この能力不足(という錯覚ですが)を埋め合わせるために、能力開発・人間関係の拡大を目指す人生になります。
瞑想が習慣になって行くと、梵とのつながりが回復してきます。
それにつれて直感力が高まり、学習したり体験しないことでも、ひらめいたり、必要な情報が空間からダウンロードされてくるようになります。
物事の本質を見抜く力つまり洞察力も格段に強まります。
そして、アーナンダ(完全充足感)は、全てに満たされているという感覚です。
第一幕のゲームは、アーナンダ不足の満たされない感を、さまざまな人・モノ・金・情報でどう満たして行くかを体験する場でした。
しかし、梵を思い出してアーナンダ感が強くなると、不満を満たすための行動は減り、嬉しいから、楽しいから、気持ちいいから行動するようになります。
こうして梵を直接体験することと、デトックスによって人生が楽で穏やかになることが連動していることを確認することができるのです。
*注:山手國弘氏
1924年10月10日、広島県生まれ。戦争とその後の混乱の中で、東京大学医学部を中退し、生活装置研究会を設立。その後、企業と社会のオリエンテー ション機関として有限会社「イオ」(集団頭脳プロダクション・生活プロダクション)を設立。現代ヨガの会も主宰し、「原気呼吸による脱カルマ瞑想」を江古 田・浅間湯コミュニティ・ホールにて行なっていた。1996/12/5に亡くなられる。
前田知則は、26歳のときに山手氏と出会った。脱カルマ瞑想の指導と、2年間にわたりに本体論とRE(リアリティ・エンジニアリング)の個人オリエンテーションを受け、その後の人生が大転換した。