✴︎葛藤の始まりは梵が作る現象という分離
時間と空間が未分化の梵(ブラフマン)が宇宙の現象を創り出すときは、時間と空間による分離から始まります。
このとき創り出される現象は、必ず対発生(デトックスではヴァリューセットと呼んでいます)します。理論物理学でも真空場にエネルギーを当てると粒子と反粒子が対発生することが知られています。
易経でもブラフマンと同じものである太極から、陰と陽が対発生すると言います。
必ずセットで出てくるのは、陰と陽が合体することで元の太極に戻ることができるからです。
つまり、何もなかったかのように現象を創るには、対発生以外できないということでもあります。
こうして、宇宙の現象は必ず対(ヴァリューセット)で出来上がっています。これを二元性といいます。
この二元性があらゆる葛藤の元になるのです。
✴︎信念の葛藤は、一方にしがみつくことから起こる
以前のブログでも述べたように、「宇宙覚醒ゲーム(仮説)」での第一幕は、二元性の体験の場でした。
このとき、母親のスキンシップ不足で抑圧された感情にフタをするのが信念の役割です。
この信念のヴァリューセットの一方を否定して一方に執着することで葛藤を体験するプロセスといっても良いでしょう。
例えば、病気と健康はヴァリューセットですが、私たちは病気を否定して健康に執着しています。
健康に良いと思われることを全て実践したら、ものすごく不自由になって病気になりそうになったという話があります。
これは裏と表がセットになっている紙の、裏を否定して表だけを得ようとするようなものです。
二元性の特徴は、一方を否定したり執着すると必ず他方への振れが起きるということです。まるでメトロノームのように行ったり来たりを繰り返すことになります。
「人間万事塞翁が馬」というエピソードもこのことを表していますね。
富裕と貧困もヴァリューセットです。
お金をたくさん所有するようになると分かりますが、もしこのお金がなくなって貧乏がになったらどうしようという不安がどんどん強くなります。
お金持ちほどケチだと言われるのも、もっと増やそうと投資詐欺にひっかかるのも、もしかしたらこの辺りに根拠があるかもしれません。
貧乏な時にはお金が沢山あったらなあと思うのに、沢山お金がたまると、貧乏が気になるわけです。
心のデトックスの理論で見ると、まず梵からの分離による3つの感覚すなわち「サット不足、すなわち自分には価値がないという感覚」「チット不足すなわち自分には能力がないという感覚」「アーナンダ不足すなわち自分は満たされていないという感覚」と、「不安・不満・怒り・孤独(嫉妬も同じレベル)」とう4つの感情の掛け算で12の信念ヴァリューセットが出来上がります。
*注:梵はサット(完全存在感)チット(完全能力感)アーナンダ(完全充足感)の3つの性質を持つといわれています。
✴︎葛藤を超えるには気づいてそのままいること
では、このヴァリューセットを超えた状態というのはあるのでしょうか?あるとすればどんな状態なのでしょうか?
それは、自分の身体を見ると実感できます。
身体は、さまざまなヴァリューセットによってホメオスタシスというバランスを保っています。
血圧を上げる働きと下げる働き、筋肉を伸ばす働きと縮む働き、交感神経と副交感神経など真反対の働きが拮抗してバランスをとっています。
このヴァリューセットが完全にバランスしている時、私たちは身体の存在を全く感じません。
本当に健康なときは、病気とか健康とかも意識していないわけです。
バランスが崩れてとき初めて、調子が悪くて病気になったとか、早く健康に戻りたいとかを感じます。
ところで、毎月1億円入っては1億円出てゆく人はお金持ちと言えるでしょうか?お金は残っていないので金持ちではありません。
でも、1億円も使える人を貧乏とも言えないと思います。
お金が回っているとき、意識しないで必要なだけお金を使えるとき、富裕とか貧困とかいうヴァリューセットを超えているのだと思います。
では、ヴァリューセットを超えるにはどうしたら良いでしょうか?
ヴァリューセットの信念の葛藤が嫌だからといって、一方を否定して一方に執着することは、メトロノームをむりやり片方に固定しようというムダな試みになります。
葛藤を超えるには「葛藤のままにいること」だと思います。
ちょうど、メトロノームの芯の中心にいることと同じで、揺れている針をただ観ていることです。
このとき、私たちは±ゼロのセンターにいます。
塞翁のエピソードで村人が善悪、幸不幸という判断をしたとき、彼はただ事実だけを認めました。そこには一方への決めつけがありません。
葛藤に気づいてそのままにいると、プラスの信念もマイナスの信念も両方ある状態を認めた上で、しかもそれが統合化された状態で居ることができます。
± ゼロの状態とは、まさに梵(ブラフマン)の状態です。
こうすべきか、ああすべきか。
これが正しいか、あれが正しいか。
こう言った方が良いのか、言わない方が良いのか。
デトックスしたいけど、できない等・・ ・
この葛藤を解決しないでそのままいることができたら、その状態は苦しくいたたまれないかもしれませんが、私たちは信念から本当に自由になります。
そのとき、信念はお互いに打ち消しあう「相滅」という状態になりフタの役割ができなくなります。そして、信念によって抑圧されていた隠された感情が、自然にその姿を現してくれます。
出てきた感情もそのままにして味わうことで解放されて行きます。
信念による解釈を止めるには、次の3つの言葉を心の中で唱えることも有効だと思い ます。
1.おおそうか
2.これでいいのだ
3.やりようないっす
感情の味わい方については次回に詳しく…